風色の本だな

風色の本だな

3年間のインドネシア生活

 やしのライン

   ― 1990年4月6日 ―  

私たちは夫のジャカルタ日本人学校赴任のため、4歳になったばかりの

長男と、まだ生後3ヶ月の乳飲み子だった長女を抱えて、インドネシア

の首都ジャカルタのスカルノハッタ空港に、降り立ちました。

初めて足を踏み入れたその地は、すでに夕刻を過ぎていたにも関わらず

とにかく暑い!

そしてヤシ油の香りと喧騒に包まれていました。

思わず、長男の手を握りしめる手に力が入ります。

私はこの時、この日から始まる3年間のインドネシア生活に

ある種の不安と未知の世界への期待がぐるぐると胸に渦巻いていたことを

今でもはっきり覚えています。

日本から南へ約5,000km。

赤道に沿って大小合わせて約13,000の島々からなる世界最大の島国。

赤土、ヤシの木、夜空に美しく輝く南十字星、そして想像を絶するほど

の大富豪たち、それとは裏腹に車の窓越しに物乞いをする

たくさんの人々がいる。

そんなアンバランスな国。

それが、その時私が見たインドンネシアでした。

私たちは、緑に囲まれたジャカルタの郊外、ポンドック・インダに

住んでいました。

さて!住み込みのメイドさんが2人と通いの運転手さん。

そんな3人の使用人たちと共に、私たちが過ごした

3年間の生活についてですが、ひとことでは書き表すことができぬほど

驚きやショックや感動の連続でした。

私にとってはまるで、奇跡に近いような

出会いと別れもありました。

まさか、異国の地で、まるで父のように尊敬し、敬愛した

歌手・ゴードン=トビン氏を土に葬り、白い花を捧げることになろうとは

誰が想像していたでしょう。

夏の窓


つづく・・・・・








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